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シナノユキマス②

ソ連からマレーナ又はぺレッドの卵の導入が難しいと知ってから約半年が経ったころ、長野県水産試験場は全農の金子さんから連絡を受けました。


全農が100%出資する子会社、株式会社組合貿易(現・JA全農インターナショナル)の部長さんが長野県の出身で郷里の水産試験場が困っているのなら助けたいという内容でした。当時の組合貿易社は農機具の輸出をしており、チェコスロバキアのプラハに出張所を構えていました。


組合貿易プラハ出張所(現在は残念ながら閉鎖)が調査したところ、マレーナとぺレッドをソ連から導入しておりました。卵の入手の可否を打診したところプラハの50~60キロのところで採卵しているとわかり、1975年には20万粒(ぺレッド)の導入に漕ぎつけます。


当時のチェコスロバキアはプラハの春と呼ばれた民主化の動きがソ連とその同盟国によって鎮圧されてから数年経った頃で、バリバリの共産圏。しかし、ソ連がストップをかけることがなかったです。チェコスロバキアは長野県と同じ内陸国。緯度はサハリンぐらいなので長野県より緯度は低いのですがソ連のバイカル地方に比べたら温暖。ソ連より条件は良いのは確かです。


1975年の1月に卵が羽田空港に到着します。それを大急ぎで陸路で長野まで搬送(成田空港の開港は1978年5月。成田なら羽田より長野からは遠いのでこれも幸いしました)。20万粒の筈が実際は14万粒しかなかったそうです。卵の費用と送料は全農が負担したみたいですが、全農さんは6万粒損していないことを祈ります。


以降1980年までに7回チェコスロバキアから羽田に空輸され、合計220万粒(ペレッド60万、マレーナ160万)を導入。その後完全養殖に成功します。尚、のちにポーランドの博士が水産試験場を訪れますが水産試験場の人たちはシナノユキマスがポーランド原産だとは知らなかったみたいです。


シナノユキマスは長野県内での流通名であり、他県では別名で流通。一時「信濃雪鱒の押し寿司」の駅弁が売られていたりしました。長野県に行き、シナノユキマスの料理がメニューにあれば「チェコ料理」だと思って注文してみて下さい!逆にシナノユキマス=マレーナはチェコでは食べないですね・・・



編集後記

シナノユキマスの話は日本スロバキア協会中野副会長から聞かなければチェコスロバキアの魚だとは知りませんでした(その前にシナノユキマス自体しりませんでしたが。。。。)。


日本にはえっ?これチェコ由来なの?あの人、チェコ人だったのという話が沢山あると思います。知られざるチェコ人シリーズは今後も比較的スポットライトが当たっていなかったチェコ人、チェコスロバキア人、若しくはチェコ由来の物に着目していきます。


取り上げて欲しいネタがあればinfo@japan-cz-sk.comまでメールをください!


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